〜〜調律師と庭師の恋〜〜 14,冬の中の温もり

前スレ:〜〜調律師と庭師の恋〜〜 13,夏の終わり

461 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 14:02:02.68 ID:aLOffbgo Be:
〜〜調律師と庭師〜〜

調律師の、余り家具の多くないシンプルな家の中。
書き物机の片隅に、少し土の汚れがまぶされた白いガーゼの包みがちょこんと乗っている。

中には、黒に近いこげ茶の種。
ころりと丸みを帯びたそれは、全てが全て瓜二つで、
だがどれも全て少しずつ違う。

調律師「……」

手紙を書く手を少し休め、しんと冷える室内の空気のせいで
大分前に湯気を消したぬるま湯を口に運ぶ。
白い陶器のティーカップは、飾り気がなく味気ないほどにシンプルだ。
だがそれが調律師の鮮やかな緑の肌に良く映える。

視線が、種包みへと投げられた。
秋の始めに、庭師が集めてくれた、庭師が調律師の庭で育てていた花の、種。


調律師「種から育てることは、…オレには難しいだろうな」

463 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 14:14:37.81 ID:aLOffbgo Be:
調律師「……あいつも解っていただろうに」

苗から育てることすら覚束ないため、庭師に頼んでいた花だ。
それなのに、庭師は汚れた手の上にガーゼの包みを乗せ、
ぎこちなく調律師に差し出した時に何も言わなかった。
――来年も自分が植えてやるとも、
――育て方を教えるとも。

調律師「……」

思い出す。
土に汚れた手で触れたガーゼが汚れてしまったことを、
ひどく申し訳無さそうに何度も謝られたこと。
何か言いたげにまごまごとした仕草を見せて、
それでも何も言わずに頭を下げた庭師。

調律師は気付いていた。
久し振りに、どこか甘えた気分になってしまっていたことを。
自分が花を育てられないことくらい知っている庭師が、
そちらから申し出てくれはしないかと期待してしまっていたことを。

こんな気分は久し振りだった。
前はいつ、誰かにこんな風に甘えただろうか、と考えてみたが、
調律師は思い出せなかった。


468 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 14:49:00.48 ID:aLOffbgo Be:
調律師「オレらしくもないな」

そう、例えばあの優しい元教え子に対して調律師は随分と心を許している。
だがそれは甘えではない。
悟飯の力になってやりたい、己のせいで迷惑は掛けたくない、
慕ってくれているということは解っている。
それにふさわしい自分でありたい。

庭師に対しては、違うのだ。
どこか、らしくもない幼気な甘えが滲んでしまう。

――来年もこの花の世話をしてくれると、言い出してくれるかと思ったのに。

すらと伸びた長い指先の先端、色濃い爪がツンと包みを突付き、揺らす。

調律師「……来年の春に…」


調律師「花をつける、何かを、…頼んでも良いのだろうか」


473 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 15:23:11.68 ID:aLOffbgo Be:


次の日。
悟飯の屋敷に足を向ける理由に、市で瑞々しい柑橘のかごでも買い求めるために、
調律師は街へ出かけた。

水だけで生きていくことが出来る上に、身なりを飾ることにもあまり頓着しないピッコロは、
仕事が無い日に街に出ることはあまりない。

年末が近づく市場は、年越しの準備に追われる人々でごった返している。
人ごみが余り得意ではない調律師も、
この時期のどこか乾いた、それぞれの生活のことで頭がいっぱいな人の群れに紛れる今が、
不快ではなかった。楽しいとすら思えた。

雑多な人の波に流され、歩調を合わせて歩いていると、
人とは違う己の暮らし、人とは違う己の身体も気にならなくなるようだ。
まるで、ごく普通の、当たり前の人間であるかのような……。


庭師「せ、んせえ?」


475 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 15:49:49.80 ID:aLOffbgo Be:

果実を並べた露店の前で足を止め、
食物を摂取しない身体ながら見栄えの良いものを買い求めようと視線をさ迷わせていた調律師が、
呼び声にひとつ瞬いた。

ゆっくりと振り返ると、両腕に重そうな土袋を抱いた庭師が、
人の流れに邪魔そうに押されながら立ち尽くしている。
驚愕の眼差しに、少しずつ嬉しそうな色合いが混ざっていく様を、
調律師は観察した。

かつて、
あの男が己を見ていた眼差しと、
とてもよく似た目だと……胸の端に引っかかったその思い付きを、調律師は振り払う。

調律師「…奇遇だな」
庭師「はい!どうしたんでがすか、…くだもの?せんせえ、食べるんでがすか」
調律師「いや…」

お前に会うための口実だと、流石にそこまでは手の内を明かしたくない。
そう考えた調律師は、ゆるく首を振った。
それに、もう、ここで会えたのだ。強いて呼ばれもせぬ悟飯の屋敷に出かけることもない。

調律師「冬だからな…。風呂にでも入れようかとな」


478 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 16:06:05.73 ID:aLOffbgo Be:

風呂に?と不思議がるように僅かに首を傾げかけて、
すぐに得心して庭師はその首を頷きの形に変えた。

庭師「せんせえ、来てくだせえ」
調律師「ん?」

買わないのかい、と声を掛ける露店の主に、
余り立派ではない卑屈な仕草で頭を下げ、愛想笑いを残して庭師は歩き出す。
柑橘を買い求めることなく、調律師もその後を追った。

庭師「風呂ぉ、いっぱいに、湯う張って何か浮かべるっての、奥様もやっとるでがす」
調律師「ああ…、そうか」
庭師「身分のいい人の趣味は俺には分からんでがすが、湯に入れて、身体をつけるなら」

別に身分が良いわけではない、と訂正しようとした調律師は口を薄く開く。
だが、振り返った庭師と視線が合うとその口を閉じた。
両腕に重そうに抱いた土袋。
ささくれ、血すら滲み、その皸にすら土が付着している手。
煤けたような肌。

彼から見れば、己もビーデルも、同じように「おかねもちのおえらいひと」なのだろうと感じた。


481 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 16:22:30.61 ID:aLOffbgo Be:
ほんの僅かに、それが、寂しいと。
調律師がそう感じていることに、自ら気付く前に、庭師は言葉を続ける。

庭師「ああいうとこのは、駄目でがす」
調律師「む?」
庭師「きれえにビカビカ光ってたでがしょう。つやぁ、出したり、虫食い、せんごつするため」
庭師「いろいろ塗ったくっとるんでがす」
調律師「……ほう」

しかし、調律師はあの露店に並べられていたような、美しく丸い果物しか見たことがなかった。
ピンと来ない、と表情で示され、庭師は俯きがちに笑う。

庭師「うちの、差し上げるんで…来てくだせえ」
調律師「お前の?」


ぼそ、ぼそ、と。
途切れ途切れに言葉を交わしながら、辿りついた庭師の家の前で、
調律師は驚きを押し殺す。

自分の家も小さいと思っていた。
だが、
庭師のその家と比べれば、立派と呼べるものかも知れない。


484 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 16:43:32.10 ID:aLOffbgo Be:
調律師の驚きは表には出なかった。
だが、庭師は敏感に察して、酷く恥ずかしがるように俯く。

庭師「…驚いたでがすか」
調律師「いや、」

かつて、共に歩もうと思いかけた男は貧しかった。
だが、庭師の家は彼のそれよりもずっとみすぼらしく、
廃棄された物置小屋だと言えばそれで通ってしまいそうなほどだ。

調律師「……悟飯は、給金を…余り」
庭師「いいえ!!それは、ちゃあんと、貰ってるでがす」

思わず表情を顰めかけた調律師に、あわてて首を振り、
既に番が外れてただ立てかけるだけになっている扉を開ける庭師。

庭師「こちら、でがす」

扉の中に土袋をどさりと投げ込んでから、
似たり寄ったりの他の家々との狭い隙間に庭師は入り込んでいく。

僅かな躊躇の後、調律師はそれに従う。
隣の家からだろうか、仄かにスープの香りが漂っている。
形は、随分と違えど、建物の中には悟飯やビーデルたちのように
ごく普通の暮らしが営まれているのだろう。


488 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 17:21:32.70 ID:aLOffbgo Be:
給金はきちんと貰っていると、言っていた。
それでもこの暮らしなのか。
この暮らしが、普通の、きちんとした暮らしなのか。

ひび割れた土壁が、調律師のまとう上質なストールを引っ掻き、ざらりとした感触を伝える。

寒そうだ、とピッコロは思う。
人間は、己とは違い寒さには弱いものではないのか。
この壁は冬の冷たい外気を、遮断できないのではないだろうか。

庭師「せんせえ」

狭間の切れ目から一歩、足を踏み出した途端、
ビュウと吹き寄せた冬風にストールがはためく。

庭師のからりとした声が、風に乗って調律師を呼んだ。
水気の無い木の葉がサラサラと音を立てる。

庭師「うちのオレンジなら、安心して、湯ぅば入れられるでがす」
調律師「……」

季節は冬、だがアカシアの美しいイエローが彩度の低い日差しの中で眩い。
沈丁花やラズベリー、オレンジ、
整えられ過ぎていないラフな庭の中で色彩が入り混じり、
冷たい空気の中、視覚がぬくもりを感じる。


494 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 17:48:59.95 ID:aLOffbgo Be:
調律師「……お前の、庭か」
庭師「戴く、給金ば全部こっちに使ってしまうんでがす」

悟飯の屋敷の庭のように、きちりきちりと刈り込まれ、
全てが美しく整えられたそれとは違う、自然な庭作り。

調律師がそれに見惚れている間に、庭師はいくつかの、
滴るような色合いのオレンジを切って袋に詰めた。

庭師「あまり、…形はよくないでがすが、…食ってもうまいでがす。食べ…ないでがしょうが」

おずおずと差し出される袋を受け取り、
そして調律師は礼について考えた。
ずっしりと重い袋の中には、幾つのオレンジが入っているのだろう。
先ほどの露店と同じような値段で良いのだろうか。


だが、調律師はその考えを振り払う。


調律師「すまんな」

金が欲しいための親切でないことくらい、解ったからだ。
どうすれば良いのだろうか、己に何か出来る礼はないか、と考えたときに、
調律師が思いつくことが出来るものは一つだった。


504 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 18:32:59.97 ID:aLOffbgo Be:
調律師「……お前が、好きそうな曲を…」
庭師「え?」
調律師「お前が好きそうな曲を、見つけた」

露店に並んでいた柑橘のかごや紙袋のようにきれいではない、
土に汚れた麻袋。
それを見下ろし、調律師は考える。
あの店の柑橘のように見目は良くないのかも知れない。
だが、きっと、中身は。

調律師「良ければ、…暇な時にでも、聞きに来ないか」

庭師のまなざしが驚愕から、明るい色に変わっていく様を調律師は眺める。
まず、驚いてから受け止める庭師のクセが、
自分と少し似ているな、と、調律師は思った。

庭師「い、…いいんでがすかっ」

ずっしりと重い柑橘の袋を抱いて、調律師はほんの僅か口元を笑みに曲げる。
その、無意識の些細な表情の移り変わりが、
どれだけ庭師の胸に負担を掛けるかなぞ、想像もしないのだろう。


510 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 18:58:42.89 ID:aLOffbgo Be:

調律師のストールが汚れてしまっていることに気付き、
庭師が慌てて手を差し伸べる。
だがその自分の手の汚さに気付き、
上質の布に触れる前に弾かれたように退いた。

調律師は己のストールの汚れを見下ろす。
払いはせず、すぐに庭師に顔を向けた。
気にはしないのだ。こんなもの、汚れても。

庭師「……本当、なら、飲み物でも出すもんでがすが、」
調律師「ああ、気にしないでくれ」
庭師「うちじゃあ、せんせのきれえなおべべが、ますます汚れっちまう」

フ、と調律師が息を付いた。どこか和やかに。

小さく肩を落としている庭師の向こうに広がる、遠い空と、暖かな庭。
お前の「うち」は豊かだと、美しいと、

調律師は思いはしたが、それを口には出さなかった。ただ、

調律師「また、この庭を見に来てもいいだろうか」


514 ◆PICorehgzw [sagesaga] Date:2008/12/11(木) 19:24:45.90 ID:aLOffbgo Be:





しん、と静かな調律師の家。夜。
寝着を身に纏い、ゆっくりと歩くと己の身から立ち上る爽やかな香りが心地よかった。
暖房をつけない家の中はひんやりとしている。
窓を開けた。

土が露になった、緑に乏しい、寂しげな庭。
あの花壇に花が咲いていた頃は、いつも窓を開けていた。
庭を眺めているのが楽しかった。


豊かな暮らしなのだろう、あれが、あの男にとっての。
ほんの僅か心に浮いた憐憫の気持ちを拭い去った。

街から外れた位置にあるこの家は夜になればひどく静かだ。
冬になればなおさら、遠くの夜汽車の鳴き声が響き、それが静けさを加速させる。
窓を閉めた。
ベッドの中も、ひんやりとしている。冷たい。だが。

己の身から立ち上る、柑橘の香りが、あの庭で見た鮮やかなオレンジのぬくもりを思い出させる。

良い夢が見れそうだ。
そうひとりごち、ベッドサイドの灯りを消した。



                                       つづく!
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