前スレ:
〜〜調律師と庭師の恋〜〜 11,バラの香り602 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/10/09(木) 00:54:54.48 ID:p4CjIoso Be:
〜〜調律師と庭師〜〜
徐々に陽射しもその眩しさを和らげ、いつしか季節は気付かぬうちに移り変わってゆく。
日々変化してゆく空気が心地よい秋の朝、
早めに起きだしたピッコロは着替え終わってから窓の外を見た。
美しく咲き誇っていた花壇は、庭師の手により処理がなされ、
寒々しく土の茶を露にしている。
手元には件の花の種が残されていた。
秋はどんな花が良いですか、と、庭師はおこがましくて尋ねることが出来ず、
来年もこの花を植えてくれるか、と、調律師は遠慮して頼むことが出来なかった。
悟飯の屋敷へ出向く際、偶然前庭で庭師が作業をしている時に
時折声を掛ける程度のつながりとなった二人だったが、
以前はその挨拶すらろくに交わしたことがなかったのだ。
庭師はそれでも幸福だ、と感じている。
604 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/10/09(木) 01:04:55.20 ID:p4CjIoso Be:
さて調律師は窓を閉め、鏡を覗いてから家を出た。
片手に下げた、硬い黒鞄の中には調律道具や整備用品が詰まっている。
今回出向く屋敷のピアノが、ピッコロは好きだった。
幼い子どもたちがいる屋敷で、よく悪戯をされて音がおかしくなったなどと呼ばれるのだが、
それでもそのピアノはしあわせそうに見えたから。
弦の具合を確かめ、耳を澄まし、調律師は心の中で囁く。
子どもたちにも愛されているのだな。
そうすると、まあね、と得意そうに答えてくれるような、
そんな気分にさせられる、良いピアノだった。
また今回も、子どもたちのいたずらだった。
ピッコロは小さく口元に笑みを浮かべながら、長い指で弦を扱う。
それを傍で眺めている女主人が、
仕事を終えたあとのピッコロのための水を注ぎながらこう言った。
女主人「ピッコロさんは本当にピアノが好きですのね」
ピッコロ「…ああ。もちろんだが、どうして」
女主人「うちの誰よりも優しくピアノに触れますもの」
605 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/10/09(木) 01:11:08.24 ID:p4CjIoso Be:
ピッコロはするりと伸びるように立ち上がって女主人に向き直る。
ピッコロ「そんなことはない。充分、このピアノは好かれているだろう」
女主人「あら、そうかしら」
ピッコロ「ああ……大丈夫だ、傷んでもオレが治してやるから」
ゆったりとした歩調でピアノを回り込み、鍵盤の前に立つと、
緑色の美しい指がつつつとその上で滑り始める。
楽しげな、弾むような旋律があふれ出し、
女主人は嬉しそうに目を細めた。
女主人「かわいらしい曲」
ピッコロ「調子は戻ったようだな」
ピッコロがすっと指を持ち上げると、ふわりと音は途絶え、
音楽に溢れていたピアノルームがしんと静まり返る。
それに僅かな寂しさを、女主人が感じたとき。
606 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/10/09(木) 01:16:29.33 ID:p4CjIoso Be:
少年「えーっ、もうおしまい?」
少女「もうちょっと聞かせて欲しいわ!」
ピアノルームの扉からのぞく、ふたつのかわいらしい顔から
口々に催促が飛び出す。
驚いたように扉を見返るピッコロと女主人は、
やがて顔を見合わせて、笑った。
ピッコロ「良いだろう。入って来い、扉を閉めろよ」
少年「わーい!!」
少女「さっきの続きをおねがい」
女主人「先生を余り困らせてはだめよ」
少年「困らせてないもーん」
少女「ねー」
子どもたちが、ピアノの前に腰を下ろすピッコロの両側から鍵盤を覗き込む。
白と黒のダンスフロアで楽しげに弾む緑の指に見とれるように。
608 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/10/09(木) 01:26:12.82 ID:p4CjIoso Be:
館を辞すピッコロの裾にとりつくように少女がちいさな手で布を握り、
引っ張られて振り返る調律師を見上げ、ちいさな声でこっそり尋ねた。
少女「ねえ、せんせい。わたしもせんせいみたいにピアノが弾けるようになるかしら?」
ピンク色のはなびらのようにつやつやとした子どもの唇から、
恥ずかしそうに、けれども期待を込めて問われた言葉。
調律師はやんわりとうなずき、
鞄を持っていないほうの手を差し出してさらさらとした少女の髪を撫でた。
ピッコロ「ああ、もちろんだ。…オレよりもずっと上手になるぞ」
ぱああ、と表情を明るくした少女の笑顔を胸に、
ピッコロは帰途に着いた。
今日は長い間歩けば汗ばむほどに陽射しが暖かい。
だが夏のそれとは違う優しい太陽だ。
調律師の心情もまた、穏やかに凪いでいる。
つづく!