〜〜調律師と庭師の恋〜〜 10,悪夢

1:〜〜調律師と庭師の恋〜〜 1,始まり
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870 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/29(金) 20:17:16.37 ID:x4.Td9Yo Be:
〜〜調律師と庭師の恋〜〜

開いた窓の枠に、半ば体を預けるようにして
調律師はどこか遠くを見るような、
視線の置き所のない深い霧の中を眺めているような
そんな眼差しで庭を見詰めた。

庭木の陰に庭師が隠れ、また現れ、せかせかと歩き働く姿。
それがなんと眩しく映ることだろう、と、調律師は深い感慨に包まれている。

あれはきっと闇を知らない。
深い沼に足を取られたこともないのだろう。

そんなことをぼんやりと考えながら、知らず知らずのうちに溜息を漏らす。
ちょうどそんな時だ。
部屋のドアを控えめなノックが揺らす。

悟飯「ピッコロさん?起きましたか?」

873 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/29(金) 20:25:22.75 ID:x4.Td9Yo Be:
ピッコロ「ああ」
悟飯「良かった。入っても良いですか?」

その言葉に是と答えようとして、ピッコロは己があられもない姿でいることに気付いた。
少し待つように告げ、脱ぎ捨てられているドレスを拾い上げ、顔を顰める。
明るい真昼の日差しの中で、夜会用のそのドレスはいかにも場違いだ。
しかしこれ以外に着るものは、と諦め、シワを伸ばすように揺らすと、
ぱらりと美しい黒雲母の破片のようなものが床に落ちた。

ピッコロ「…?」

不思議に思い、それを拾い上げたピッコロは、かがんだ姿でビクリと動きを止める。
それは乾いた己の血であった。
昨夜の出来事が脳裏を駆け巡り、背筋が戦慄く。
反射的にそのドレスを放り投げるように床に捨て、己の身を抱くように腕を廻した。

ピッコロ「……ッ」

きつくまぶたを閉じ、蘇った記憶を振り払おうとしているように首を左右に振る。
強張ったその体に、もう傷跡は残っていない。
どのように傷つけられようが、人ならぬその体は傷を残さない。
ただ残るのは、心にのみだ。


878 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/29(金) 20:40:44.55 ID:x4.Td9Yo Be:
悟飯「ピッコロさん」

ドアの外で行儀よく待っているのであろう、かつての教え子が、
思い出したように声をあげる。

悟飯「昔、置いて行かれた服がクロゼットに入っていますよ」
ピッコロ「ああ……、捨てなかったのか」

調律師は己の精神力を、珍しくほめてやりたい気分になった。
発した声は常と変わらず、この屋敷の主人も訝しく思わなかったようだ。
若いあの頃。
ピアノを弾いて暮らしてゆくことを諦め、
さりとてどうすればよいのかも皆目検討が付かず、、
身寄りのない身を持て余していたピッコロは、
生前の悟飯の父に勧められるがままこの屋敷で暮らしていた。
まだ幼かった悟飯の家庭教師として過ごした数年は、
今思い返せば己の人生の中では随分と幸せな年月だったのであろう。

クロゼットを開ける。
時折召使が干していてくれたのだろうか、
少し褪せた衣類は余り傷みも見当たらず、これならば着用にも耐えられると
ピッコロはほっとしたように簡素なワンピースを手に取る。


899 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/30(土) 01:20:11.94 ID:XH.cfBUo Be:
>>878

着替え終わった調律師は、気遣ってくれる元教え子と共に遅い朝食をとった。
朝食と言っても時間を合わせてくれた悟飯の食事を眺めながら水を飲むだけだったが。

悟飯「気分、良くなりましたか」
ピッコロ「ああ……すまない」

昨夜、テラスで悟飯の仕事相手と向かい合うピッコロが、
沸き起こる自暴自棄な気持ちに流されずに済んだのは、
ピッコロの姿を探してテラスに顔を出した悟飯のおかげだった。
暗がりにいる二人が何をしているのかは解らなかった。
呼びかけた声に応えることも出来ずにいたピッコロに対して、
仕事相手の男が「具合が悪いらしいので介抱をしていた」と語る言葉を信じたのだ。
ピッコロも実際、随分と胸を悪くしていたのでその言い訳を幸いとし、
悟飯が勧めてくれるままに部屋を借りることにした。

悟飯「あの人は少し言葉を選ばないところがあります…よね」
悟飯「何か不快な思いをしませんでしたか?」


903 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/30(土) 01:28:47.33 ID:XH.cfBUo Be:
ピッコロは一瞬言葉に詰まる。
心情を正直に言葉にすれば、目の前の人が良い元教え子は、
己が非礼を犯したかのように恐縮して謝罪するのだろう。
そうさせたくない、とピッコロは考える。

ピッコロ「いや……、親切だった、ぞ」
悟飯「そうですか!」

悟飯が、ぱっと表情を明るくさせた。
調律師はそれを見て、己の言動に満足し、
けれど教え子にウソをつく心苦しさからか視線を逸らす。


908 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/30(土) 01:35:59.22 ID:XH.cfBUo Be:
悟飯「少し、気になっていたんですけど…悪印象がなくて良かった」
悟飯「切り出しやすいです」
ピッコロ「どうした…?」

ほっとしたような元教え子を眺めながら、
ピッコロはそっと水のグラスを空ける。
お代わりを尋ねられ、首を振った。
小さくピアノの音が聞こえてくる。
恐らく悟飯の妻が奏でているのだろう、柔らかな旋律だ。
少しぎこちなく音符を辿っていく音をピッコロは追い、
頭の中だけで指を動かす。

その旋律が不意に霧散した。

悟飯「あの方、どうやらピッコロさんと親しくなりたいようで」
悟飯「招待状を渡してくれと頼まれたんですよ」

悟飯が白い封筒を差し出す。


914 ◆PICorehgzw [sage] Date:2008/08/30(土) 01:50:37.14 ID:XH.cfBUo Be:
元教え子の笑顔に向き合い、
咄嗟にかわす言葉を思いつくことも出来ず、正直に伝えることも出来ず、
調律師はおずおずと封筒を受け取ってしまった。


切ないまでの憧憬を注ぐ相手が、己を見ていたことも、
まだ自宅に帰っていないことも、
今、恐怖、嫌悪、そのような感情に身動きを取れずにいることも、
何も知らずに庭師は己の仕事に精を出していた。

俺「先生は、俺の育てたばらを見てくれたとだろうか」
俺「うつくしい、と思ってくれたとだろうか」
俺「先生ほどに、うつくしくは、ないとだけんど……」

ほう、と溜息をついて手を休めた庭師は、
土に汚れた手で汗を拭う。
きらきらと眩い夏の日差しの下で、
庭師がうっとりと夢をさまようような気持ちで調律師を思っていたその時、
その調律師は悪夢へと足を踏み入れようとしていたのだ。


                    つづく。

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